“勝ち師”として勝つことだけを考え続けた野中和夫選手。
現役時代はSG17Vや期間最高勝率9点超えなど、驚異的な記録を数多く打ち立てました。
競艇を語るうえで欠かせない、スター選手の1人といえるでしょう。
野中和夫選手の基本データ
登録番号:2291
生年月日:1944年1月1日
身長:159cm
体重:55kg(現役時)
血液型:O型
支部:大阪
出身地:大阪府
登録期:27期
級別:A1
選手の来歴
野中和夫選手は1944年1月1日、大阪府堺市に生まれました。
ボートレーサーになる前はエレベーター技師として働いていたほか、空手選手としても活躍。1966年に開催された全国空手道選手権大会では、男子組手で3位に表彰されたほどの実力者です。
そんな野中選手は漫才師・横山やすしさんと親友で、競艇選手になったのも横山さんからの誘いがきっかけだったようです。
2人で養成所の試験を受け、見事に合格して競艇選手としての道を歩み始めることになりました。
ちなみに、横山さんは極度の近視が原因で不合格だったそうです。
1969年3月、住之江競艇場でデビューを果たした野中選手は順調に成績を伸ばし、1995年にはすべてのSG競走を制覇。「グランドスラム」を達成します。
その後、2005年3月に日本モーターボート選手会の会長に就任。その関係で、レースには同年2月以降出場していません。
そして2009年11月、年齢的な問題から引退を表明しました。
エピソード
すでに触れたように、野中選手は横山さんと大の親友でした。
横山さんの告別式では友人代表として弔辞を読んでおり、涙を浮かべながら「今度俺がそっちへ来たら、お前と一緒に走ろう!そのときは古いエンジンも持って来たる!」と言葉を送ったそうです。
そんな野中選手は周囲から「勝負師」と呼ばれることを嫌っています。
その理由は、「勝負師とは勝ち負けを繰り返す人のことであって、自分は勝つことしか考えてないから」とのこと。そのため、自らを「勝ち師」と称しています。
あだ名の理由
野中選手といえば“モンスター”の異名で有名です。
その由来は、SG競走17制覇や期間最高勝率9.53など、前代未聞の記録をいくつも打ち立てたことからきています。
一方で、日頃からかなりの量のお酒を飲んでいたことや、クラブのボーイに車をプレゼントするなど大胆な一面を見せていたことなども関係しているそうです。
選手の現在
野中選手は引退後もさまざまなイベントを通して競艇界を盛り上げています。
また、2012年、大阪府泉佐野市にある泉佐野漁港「青空市場」の近くに場外舟券発売所をオープン。現在も運営を続けており、日々さまざまなイベントを企画しています。
野中選手の活動については公式ブログで確認できるので、ぜひチェックしてみてください。
まとめ
現役時代はさまざまな記録を打ち立て、爆発的な人気を集めた野中選手。
その走りはもう見ることができませんが、現在も数多くのイベントを通じて競艇界に大きく貢献しています。
今の競艇があるのも、野中選手の活躍あってのことでしょう。今後にも要注目です。